皆さまは左官屋と聞いてどんな仕事かわかりますか?最近ではテレビで特集されたり重要な文化財の再生工事などでも耳にする機会が増えた『左官』ですが、それでも聞いた事もないって方も多いのではないでしょうか。
ホームページを開設するにあたって見て下さった方に少しでも左官の魅力が伝わればと思い、また自分の勉強にもなりますので簡単ではありますが調べてみました。
- そもそも左官って何するの??
左官とは主に建築物の壁塗りを仕事とする職人の事を言います。土やセメントなどの素材を塗ったり、砂壁や漆喰〔しっくい〕などの最終的な表面仕上げを仕事としています。
昔は天井も床も板張りが当たり前だったから『壁を塗る職業=左官』だったんですね。近年では鉄筋コンクリート構造が増えたこともあり床や天井を塗る機会も昔に比べると増えているのかもしれませんね。
※昔は壁を塗るだけじゃなく、下地骨組みを組むのも左官の仕事でした。
下地の骨組みにも様々な種類があるんですよ。
- 結構凄い左官の歴史!!
左官という呼び名は奈良時代の律令制度化において、宮中の建築工事を司る木工寮の属(さかん)に官位を与えたことに由来しているのだそうです。
その他にも昔は建物の骨組みを担当する大工さんを『右官』と呼んだことから、壁などの仕上げを担当した職人さんのことを『左官』と呼ぶようになった!なんて由来もあるそうですよ。
泥工なんて呼ばれていた時代もあるそうで、それらを含めるとその歴史は更に古く、日本における左官の起源は、な、なんと縄文時代にまで遡るそうです!!
遥か昔の道具もまだまだ発展していない時代の何が左官工事なのか??
縄文時代の人々は竪穴式住居で暮らしており、その当時、壁の材料として使われたものは土でした。土は最も手に入れやすい素材で、その土を生のまま団子状に丸めて積み上げていき土塀を作ったのが左官工事の始まりなんだそうです。
その後、飛鳥時代には石灰を使って壁を白く塗る仕上げ技術や細く割った木で壁の芯を作る技術などが開発された事によって左官工事はますます発展していきます。
安土・桃山時代になると茶室の建築に色土が用いられ、土の色をコントロールするだけでなく、砂や繊維を混ぜることで様々な表現が可能になりました。
江戸時代には漆喰で壁全体を覆ってしまう漆喰仕上げが開発され、建物の耐火性を飛躍的に向上させ、またデザイン的にも非常に美しいものになりました。
その後、商人の土蔵や町家へと普及していき、漆喰彫刻というレリーフ状の装飾的施工も行われるようになりました。この点で左官技術は芸術性においても大きな発展を遂げ、文明開化後の洋風建築の装飾にも柔軟に対応しました。
昭和になり高度経済成長期には、鉄筋コンクリート構造RC構造)の建物が数多く造られ、多くの左官職人が必要とされました。戸建住宅においても、当時の内壁は綿壁や繊維壁の塗り壁仕上げが多くありました。またこの頃から浴室のタイル貼りなども行うようになり、基礎工事、コンクリートブロック積み、コンクリート打設(打込み)時の床均しなど仕事内容も多様化していきました。その後、材料や製品の進歩により建材の湿式化が進み、土・漆喰・モルタルなどを使用が減った事も要因となり、左官工事が減少してしまい職人さんの数も減っていってしまいました。
そして現在、世間への認知度は少しずつ回復してきてはいるものの、今も職人不足に悩まされている左官業界ですが、左官技術は元来使用されていた土や漆喰を使った技術の見直しと新しい素材、新しい工法を取り入れ、新旧の技術を融合させながら今も進化と挑戦を続け建築の様々なシーンで活躍しているのです。
こうやって調べてみて仕事をしている身であっても知らない事ってまだまだ沢山ありますね。時代と共に発展し進化してきた『左官』に少しでも多くの人が興味をもってもらえたら嬉しいと思います。